この記事では近代以前、特に江戸時代の教育を振り返ることで、探究的な学びが実は近世の日本ですでに行われており、成果をあげていたことを取り上げます。そこでは社会に開かれた学びが行われ、わくわくする探究心で世界水準まで高められた学問的成果がありました。
江戸時代の庶民にとって身近な教育機関「寺子屋」と広く学ばれていた「和算(数学のこと。算学とも)」を取り上げて、その成果を見ていきます。
探究学習とはなにか?それは、わくわくする探究心を持って、社会に開かれた学びを行うことです。
日本は戦後、工業化社会に貢献できる人材を大量育成するため、一斉授業を中心とする教育によって優秀な人材を多数育ててきましたが、負の側面として、与えられた問題を効率よく解くことはできても、自由な発想で自ら探究し能動的に学ぶ姿勢を犠牲にする性質も合わせもっていました。そして学校で学ぶ内容も、現実社会でどう役に立つのか、実感が持てないものになってしまっています。「学校で学んだことは社会で役に立たない」そんな声は根強く存在します。
ところが「VUCA(ブーカ)」と呼ばれる不確実で先が読めない現代、自ら探究し問題設定・解決を行う人材を育てる、社会に開かれた学びが求められています。
・与えられた問題を解くだけで自ら問題設定できない。つまり「わくわくして探究すること」ができない
・学校の学習が社会と乖離してしまっている
この大きな二つの問題を解決するため、期待されているのが2021年から高校で必修となる探究学習です。すでに探究を授業に取り入れ成果を上げている学校もある一方「日本人は教えられたことを覚えるのは得意だが、自分で考えるのは苦手」というイメージが先生の間でさえ固定概念化している向きもあります。
しかし、それは本当でしょうか?工業化社会に最適化された現在の教育が行われているのは戦後のたかだか70年程度、と考えることもできます。ではその前はどうだったのでしょう?
この記事では近代以前、特に江戸時代の教育を振り返ることで、探究的な学びが実は近世の日本ですでに行われており、成果をあげていたことを取り上げます。そこでは社会に開かれた学びが行われ、わくわくする探究心で世界水準まで高められた学問的成果がありました。
江戸時代の庶民にとって身近な教育機関「寺子屋」と広く学ばれていた「和算(数学のこと。算学とも)」を取り上げて、その成果を見ていきます。
そして、寺子屋の多くが小学校の前身となり、高度化した和算が西洋数学を迅速に普及させ、明治維新後の日本の急速な発展の礎となったように、その良いところをあわせもつ探究学習の成功は、これから10年、20年先の未来を大きく前進させるものになると考えます。くわしく見ていきましょう。
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「寺子屋」社会に開かれ個別最適化された対話的学び
諸芸稽古図会(部分・歌川広重)
寺子屋は室町~江戸時代に庶民の子供たちの学びを支えた教育機関です。最盛期には日本全国で1万5千か所を超えたといわれ、明治維新後の小学校の前進となった寺子屋も多くありました。
都市、地方、農村・漁村などに関わらず全国に分布し、教師(『手習い師匠』とも)も庶民、武士、僧侶などさまざまでした。武士には「藩校」という教育機関がありましたが庶民にはなく、基礎的な学力を身に付けさせたいという庶民のニーズに寺子屋が応えていました。
手習い師匠には特に資格はなく、自宅の部屋や寺社など子供を集められる場所があり、教える意欲がある者であれば誰でも師匠になれました。都市部では子供の数も多く、寺子屋経営が良い稼ぎになる場合もありましたが、地方や農村部ではそれほど収入も多くなく、比較的豊かな豪農や寺社仏閣の管理者らによってボランティア的に経営される寺子屋も多かったようです。裏を返せば、ボランティアであっても子供たちを教育しなければならないほど、当時の日本では文字が普及しており、仕事の前提として読み書き能力が求められたということでもあります。
「読み書きそろばん」基礎リテラシーの徹底
寺子屋に求められた最も大きな役割は「読み書きそろばん」と言われる基礎リテラシーです。
江戸時代の日本は、世界で見ても識字率が高い国でした。当時の正確な識字率は測定できませんが、外国人研究者には、江戸期の識字率を大胆に推定する作業を行ったロナルド・ドーアがいます。彼は「江戸時代の教育」(1965年) において「疑う余地のないことは、1870( 明治 3) 年の日本における読み書きの普及率が、現代の大抵の発展途上国よりかなり高かったということである。恐らく当時の一部のヨーロッパ諸国と較べてもひけをとらなかっただろう」( ドーア、1965、268 頁 )。等としてます。
この日本の高い識字率を支えたのが寺子屋だったのです。
「そろばん」にあたる算数・数学(かならずしも『そろばん』を習ったわけではないようです)は難易度が高いため、農村部では教えないことも多く、貨幣を用いた商取引が盛んな都市部では、積極的に学ばれました。加減法(足し算ひき算)はほとんどの子どもが、2割程度の子供たちは乗法除法(かけ算・割り算)まで学んだと言われています。
教え合いによる対話的な学び
一掃百態寺子屋図(渡辺崋山)国会図書館デジタルコレクション
寺子屋ではいまでいう「教え合い」が推奨されました。山形県鶴岡市にかつてあった寺子屋が1703年(元禄十六年)に作成した「掟」の内容には「読めなかったり間違ったりした箇所があれば、仲間同士で教え合うようにせよ。それでも、わからないところがあれば、師匠の教えを仰ぐようにせよ」とあり、子供たち同士で聞き合って、教え合っていた様子が伺えます。いまでいうアクティブラーニングですね。人に教えるというアウトプットを行うことが学習内容の定着につながることは知られています。
しかし一方で、師匠の手が回らないという側面もあったことは否定できません。特に農村部では子供たちの家の経済的な理由で、手習師匠も十分な収入が得られませんでしたから、富裕な豪農層が家業と兼任して寺子屋を運営せねばならず、多忙を極めました。
現・埼玉県入間で寺子屋を経営していた高麗家には、あるときは主人が、風呂に入りながら門人の論語の素読を聞き、誤りがあれば風呂の中から大声で指摘した、という逸話が伝わっています。
そもそも都市部でなければ採算が取れないほどだった寺子屋ですから、よほどの規模の寺子屋でなければ、師匠の数も一人だったはずです。怪我の功名だったのかもしれませんが、結果としてアクティブラーニングが行われた・・・のかもしれません。
家の商売によって最適化されていた教育
農業について書かれた教科書「百姓往来絵抄」国会図書館デジタルコレクション
「学校で学んだことは社会で役に立たない」
このような声を聞いたこと、考えたことはありませんか?
多くのことを効率よく学ぶために、学校ではみんなが同じ教科書を使い、一斉授業でを受けます。将来就く仕事とは直接関係ないことも多いと、正直感じるのではないでしょうか。
学校で学んだことが社会で役に立つという意味では、江戸時代の寺子屋の方が一歩も二歩も進んでいたかもしれません。、
寺子屋では今のように全員が同じ教科書を使うのではなく、その地域や、子供たちの家の稼業になるべく合わせて、その子供に最適となる教科書を与えていました。
寺子屋の教科書は一般に「往来物」と呼ばれ「○○往来」という名前の教科書が数多くありました。その種類は7,000にも及ぶといわれています。
往来物(おうらいもの)とは・・・元は模範となる手紙(往来)の用例集のことをいったが、江戸時代では初歩的な教科書のことを総じて「往来」と呼んだ
教科書の具体例をいくつか挙げます。
商売往来
証文など商売の取引に必要な文字、数字、金子(貨幣)の名称、天秤・分銅の基準、雑穀類の名称、廻船に必要な知識、相場値段の決め方、絹布の名称など
問屋往来
貨幣両替の問屋、諸国廻船、景気変動の要件、仲買や新規の客の思い入れの見極めと捌き、値段の決め方、運送に気を配る事柄、賃金、懸けの催促、日常の生活の心得など
百姓往来
農業耕作の道具、新田開発、検地、肥、米つくりの要点、往還道路の掃除、公儀への奉敬、家の造作、木綿織の道具など
柱立往来
神社仏閣の建築物の名前、建築構造、構造の各部所の名称、建築用材、道具の名称など建築造営にかかわる用語など
諸職往来
武士にかかわる用語、農夫について農耕・農具に関わる説明、工匠人について大工道具の用語や名称について説明、商人について商売用語
日本往来
日本の地理と特産物などについて、簡潔明瞭な日本の全地域の地誌の紹介など
商家用文章
商家で日常的に必要とする生活上、商売上の手紙文の文例が往復の一対の形で編集されたもの。年始祝儀状と同返事、婚礼祝儀状と同返事、節句祝いや病気見舞い、安産祈願や通過儀礼の祝いの往復の文例など
このように、「商売」「農業」「建築」「地理」「礼儀・マナー」など様々なテーマの教科書があり、子供たちの家の稼業によって使い分けていました。子供たちはこれらを手習い本として、読み書きを学ぶと同時に、仕事の基礎知識を学んだのです。
多くの寺子屋では昼過ぎには勉強を終えていました。多くの子供は寺子屋での勉強が終わったら家に帰って稼業を手伝ったと考えられます。
寺子屋で実家の商売について学び、そのあと実際に仕事を手伝う、または寺子屋で学んだことを、将来、奉公先で使うという、社会に開かれた学びが行われていたと言えるでしょう。
まるで地域探究?「松本往来」に見る地元に根差した教育
テーマごとに分かれていただけではありません。地域の特色が生かされた教科書も存在しました。
例えば、松本城下(現・長野県松本市周辺)で学ばれた「松本往来」は、松本の日常生活に関わるもの、領内で生産され商品化しうるものに重点を置いて編纂されています。
「松本往来」収録事項分類表(抜粋)
信濃国郡名/隣国郡名/信濃国城下町名
衣料品/食料品/薬種・香料/生産道具
住居/家財・家具・雑具/書籍
商取引地/諸職/諸芸
家族の名称
人体の各部名称/病名
樹木、草花、鳥、獣
社寺 など
全国規模で見たときにこのような例がどの程度あったかまでは分かりませんが、当時はいまよりも移動が極端に少なく、ほとんどの子供たちが生まれた土地で働き一生を終えたことを考えると、理にかなった教育だったと言えます。
現代でも地域探究によって地域への理解や愛着を深めることによって人材の都市部流出を防ぎ、地方を振興していこうとする動きも出てきています。
寺子屋は、理想の教育機関だったか?
「文学ばんだいの宝」一寸子花里(いっすんしはなさと)
ここまで読むと、江戸時代の寺子屋は、社会に開かれた学びが行われ、学習は職業によって個別最適化されており、あたかも理想の教育機関のような印象を受けるかもしれません。
たしかに現代から見ても優れた点が多い寺子屋ですが、理想の教育機関だったとまでは言えないかもしれません。
江戸時代の教育を研究した教育学者の石川松太郎は寺子屋の学びについて、
「子どもが生まれながらに恵まれた色いろいろな能力の中から、記憶する力だけをとりだして、大人たちがすでにつくりあげた文化を呑みこませようとした点に問題が残った」
「『遊び=勉強』という図式をたてて、子どもが自主自発的に営むさまざまの遊びのなかで、健康を伸ばし、もろもろの知識や技術を総合して学びとらせることによって、人間としての全面的な発達をはかろうとする構想なり実践なりは、わが国では近代、それも大正期の民主主義に足場をおく自由教育運動を待たねばならなかった」
(引用:石川松太郎著『藩校と寺子屋』)
と言及しています。
「社会に開かれた学び」「個別的」「対話的」であるなど、現代の「探究学習」の要素を多分に含みつつも、一方で「受動的」「詰め込み教育的」な側面もあったのが寺子屋だったようです。
師匠は今のように専門的に教育について学んだわけでもなく、たくさんある教科書のことも全ての内容を深く理解していたわけではないでしょう。教育の質に関しても、今のように教職過程で学び、教員採用試験で合格して先生になる、というプロセスもありません。中には小金欲しさに寺子屋を開いていた質の悪い師匠もいたことでしょう。
しかし寺子屋で学ぶことは社会で働くための準備として仕事と直結しており、寺子屋で学ぶことの切実性は子どもにとっても、親にとっても、社会にとっても、非常に高かったことは事実でしょう。それは、特に農村部で師匠が身銭を切ってまでも子供たちを教えていたことなどからも理解できます。
一概に寺子屋が理想だったとは言えませんが、社会に開かれた学びであったこと、実学の観点から個別最適化された学びが行われていたこと、対話的な学びが行われていたことなどは、現代から見ても魅力的であることには間違いありません。
「算学」探究心が学問を育て社会へ還元された
算数・数学の教科書「新編塵劫記」国立国会図書館デジタルコレクション
江戸時代の寺子屋の教育は社会に開かれ、個別最適化した対話的な学びが行われていた点で探究学習的であったと言えます。一方で、探究学習の重要な要素の一つに「主体的である」ことが挙げられます。寺子屋の教育はいくつもの優れた点をもっていましたが、必ずしも子供たちが主体的に学びに向かう場ではありませんでした。
人々が主体的に探究した結果が高度な学問的成果を生み、社会へも還元されていたような例はないのでしょうか?それがまさに、いま探究学習に求められる役割だからです。
実はあります。それを江戸時代に花開いた「和算」の世界に見ることができます。
江戸時代の数学レベル
江戸時代の算数・数学教育については、寺子屋の章で少しふれました。庶民レベルでは、農村部では読み書きだけで和算を学ばない人が多かったものの、都市部においては多くの人々が加減法を理解し、一部は算学塾と呼ばれる専門の塾へ通い、乗法除法など高度な和算を学びました。
商売人は貨幣を扱い、通貨の種類ごとに異なる金銀の含有量に応じて換算や両替を行う必要があったことや取引の際に度量衡(重さ・長さ・体積などの計量単位)を駆使することが求められたことから、和算の知識が必要でした。
また大工や繊維業も建築物の設計や織物のパターンなどに和算の知識を使用していました。
明治になってから改良された織物の織り柄のパターンを縦糸・横糸の配列で図示した一冊『美術会改良絣織明細簿』 (電気通信大学蔵)
武士階級は和算を、土地の測量や農業用設備の開発、天文学も利用した暦の作成、金利の計算などに応用していました。
農地の面積計算の控え『検地算法秘本』国立国会図書館デジタルコレクション
実用を超えて算学を探究する人々
見て楽しい問題集も出された『五明算法 後集』国立国会図書館デジタルコレクション
このようにあらゆる分野で実用としての和算が活躍していました。しかし和算の発展に寄与したものはそれだけではありません。
江戸時代には趣味・遊戯的に和算が楽しまれ、人々が競うように難問を作り、挑戦しあうことで発達した経緯があります。
江戸の後期には茶道や華道などさまざまな分野で家元制が興った時期で、和算も大小さまざまな流派が誕生しました。
各流派は絵馬に和算の問題と解答を記した「算額」を奉納するPRを盛んに行い、人々の目を引き付け愛好者を増やしていきました。
遊歴算家による全国的な算学レベルの向上
江戸時代の和算のレベル向上にもう一つ付け加えておきたいのは遊歴算家の存在です。彼らは文字通り、各地を遊歴して和算を教えて回る算学家です。彼らは各地の都市・農村を回り、来訪先で塾を開き、実用に必要な四則演算から、主に数学的知識欲を満たすための高度な数学(代数学など)を教えて回りました。
当時の算学は世界レベルに
和算を夢中になって探究した人々、それを全国へ広めた遊歴算家たちの活躍もあり、当時の数学レベルは世界水準だったともいわれています。一例をあげると、円周率の計算において、西洋の微分積分に匹敵する理論が存在していたことが知られています。
暦、農地測定、灌漑設備など高度な数学が社会を支えた
土木工事の方法が描かれている『算法普請手引集』国立国会図書館デジタルコレクション
このように江戸時代には人々の探究心が和算を育て、実学に生かされていったことがわかります。
明治維新後は西洋の数学が取り入れられ、和算は歴史的な役割を終えていきますが、西洋数学の導入を支えたのもまた和算を深く学んだ人々でした。江戸の和算が高度に発展し、多くの人に愛好されていたからこそ、西洋の学問もスムーズに受け入れることができたのです。
まとめ
社会に開かれ、個別最適化され対話的な学びが行われていた「寺子屋」、探究心が学問を育て、それが社会に還元されていた「和算」この二つを見てきました。
現代日本の探究学習は、かつて私たちの先輩たちが行っていたこれらの学びの良いよころを融合させた「ハイブリッド」と言えるのではないでしょうか。
「探究的な学び」に対しては、本当に実現可能なのか、懐疑的な声もあります。
しかし、この記事を読んでくださった方は「きっと探究学習は成功する!」と感じられたのではないでしょうか?まったく新しいことを始めるわけではありません。少し昔の先輩たちが当たり前に行っていた教育だからです。
寺子屋の多くが小学校の前身となり、高度化した和算が西洋数学を迅速に普及させ、明治維新後の日本の急速な発展の礎となったように、その良いところをあわせもつ探究学習の成功は、これから10年、20年先の未来を大きく前進させるものになるはずです。
参考図書・サイト
藩校と寺子屋(石川松太郎著・教育社)
学制百年史より「寺子屋の教育一 幕末期の教育」(文部科学省)
寺子屋:驚くべき江戸時代の教育力(高橋敏/国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学名誉教授)
江戸の数学(国立国会図書館)
凄い! 和算の世界(前橋工科大学名誉教授・小林龍彦)
【高校の探究担当の先生へ】
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【この記事の監修者】
田中 悠樹|株式会社Study Valley代表
東京大学大学院卒業後、ゴールドマンサックス証券→リクルートホールディングスに入社。同社にて様々な企業への投資を経験する中で、日本の未来を変えるためには子どもたちへの教育の拡充が重要であると考え、2020年に株式会社Study Valleyを創業。
2020年、経済産業省主催の教育プラットフォームSTEAM ライブラリーの技術開発を担当。
2024年、経済産業省が主催する「イノベーション創出のための学びと社会連携推進に関する研究会」に委員として参加している。